イマココニイキル

私は私のために生き、あなたはあなたの為に生きる。

私にとっての責任とは

前回の記事を書いたのは

自分にも人生にも冷めていて

自分さえしっかりすればどうにでもなる。どうにでもできる。

こんなブログを書く私にも

別に周りなんてどうでもいいって思う時期もあったって事を表現したかったのだと思

います。

でも、みんなに理解して欲しいとは思わないし

自分の苦しみや喜び、悲しみ全てを人に理解できるなんて思っていません。

だって、自分の眼で見ている景色は自分にしか見えない。

あなたが見ているのは私の顔であり、決して私の見ている現実ではない。

逆もそう。

あなたの見ている「今」という景色は、私には見えない。

私に見えているのはあなたという人間の表面的な物質的面だけ。

今も昔もこんな思いは変わらなかった。

自分のことを理解できるのは自分。

今の瞬間まで全部決めたのは自分のはずでしょ?

親にどうこう、友人に彼に彼女に言われても、そうしようと最後に決断したのは自分

でしょ?

 そんな目の前に広がる現実を受け入れるために責任を持ちたかった。

「責任」って皆さんの中でどんな言葉としてイメージしますか?

親の責任を果たす。

責任をもった行動。

社会人としての責任など、責任というものに関していろんな言葉があります。

みんなそれぞれでいいと思うけど、

私の中の責任とは、

自分が行った事に関して100%自己対処でき、どうなったとしても他人の手を一切借

りずに自己処理する事だと思っています。

何かうまくいかなかったときに人のせいにする人は嫌いです。

そんな人に限って、うまくいった時には人に感謝しない。

自分の力だと勘違いするからです。

あの頃の私の人生のテーマって、自立した人生に責任をもつ。でした。

100%やるか0の全くやらないか。

自分の言動に責任をとりたいからこそ、ミスは自分の中では許されなかった。

看護師としてもそうでした。自分のミスで人が死ぬかもしれない。

集中治療、救命、新生児。常に現場には責任ある行動が求められていた。

理論、根拠をたてて矛盾の許されない現場。

そんな強くありたい自分と、社会人としての現場が

「自分が決めた事は揺るがない。我が道を行く」私を作り上げたのだと思います。

自分なりの責任感で、自分の気持ちや思いを周囲に表現する事は無くなりました。

助けてっていうことができなかった。

迷惑かけないように強くいようとしたから。

あの時期の私は正直、頑固でした。ごめんねって言えなかったし、そもそも自分が悪

いと思っていなければ、理論立てて相手を説得する事が得意で負けることがなかった

そんな私に優しさを持ってくれるのは男女共にほぼ年上の人でした。

同級生の友人はいつも相談される側で、お姉さん的な役回り。

男性なんてもってのほかで、同世代、年下で尊敬できる人なんていないので、興味も

なかったし、人生で関わる事も無いだろうと思っていました。

占いも行ったことが無かったです。

幸せ引き寄せますとか、あの人の思いを操作しますとか、本当にそんな力あるなら戦

争を無くして、世界で困っている子供達をなんとかしてあげてって今でも思います。

占いに行って、運命の人と出会いませんとか、いつがいいとか言われて左右された

り、自分が今の彼を大事に思っていたのに、その人が運命の人では無いですと言われ

たらその関係はどうするんですか?

言われた時に出会いがなかったら占い師のせいにするのかな?って。

自分の人生なのに人に左右されて、人のせいにして何が楽しいんだろうって思ってい

ました。

だから私のあの時代を知っている周囲からすると、今の姿がありえない景色に映るん

でしょうね。

そもそも私の鑑定は占いでは無いんですが、やっている本人が言っても信憑性にかけ

るので、体験された方の口コミのみでさせてもらっているんです。

 

私は、あの頃と変わらず今も私自身にしかできない生き方を追求し続けています。

その中で出会ったのが今の数秘鑑定でした。

私だけの私にしか歩めない人生を見せてくれた先生には感謝しかありません。

抽象的ではなく、具体的に目で見て分かる方法で気づかせてもらいました。

今は私も鑑定しますが、一人として同じ人生を見たことがありません。

周りにどんなに影響力がある人たちがいたとしても、ひとりでやり抜こうとする思い

に支えられ、しかし、決して自分一人で生きるのではなく一年前に私が多くの人に

助けてもらったように私自身も

「この人ならわかってくれる」と誰かの支えになる存在であり続けよう。

 

「私は私でやる」

この想いは昔も今も変わりません。

私の人生は私にしか歩めない。

しかし、あの頃と明らかに違うのは、

周りの人には極力期待せず、自分ひとりでやり抜こうとする自分の背中には

「極力周りには迷惑をかけたくない」

という自分の想いがいて、それが自分を進化し続けさせる原動力となっている事に

「気づけた」事です。

そして、前より着飾らない「素のままの自分で思いきり生きる」という事も少し分か

った気がします。

ずっと自分を守るための武装は、ただ自分の見る景色を狭めるだけだった。

私を想ってくれる人達は、武装した私の姿ではなく鎧を脱ぎ、思いっきり笑う私を愛

してくれているのだと分かったのはちょうど一年前でした。

 

「愛されることが嬉しい」

 

私自身も、周囲の人もこの言葉の意味を感じて生きていけるよう

今日も前に進もう。

そう思えた自分が今いる事に感謝しています。